la photographie d'information

アンカー

世界報道写真展2006、世界報道写真50周年展@写美




時間なくて駆け足気味。くぅ。
インドに目がいっちゃうお年頃だ。
昨年10月のカシミール地方で起きた地震では、世界で最も標高の高い人里離れた村々が被害を被ったこと。
西ベンガル地方では、人々は砒素汚染された井戸水を飲まざるをえないこと。
アフリカゾウは増加しているのに対して、インドゾウは減少していること。
(タイではかつて10万頭いたのが今や1500頭にまで激減している。)
インドには、ナダ・クスティという数千年の歴史をもつ古代レスリングがあること。
メモ帳を見てみるとインドのことばかりメモしてあった・・。


でも一番衝撃的だったのは、ハリケーンカトリーナの被害を写し出した写真。(マイケル・アップルトン)
日本と近い生活水準の国での惨状は、見ていて一番痛さが伝わってきた。
中でも忘れられないのが、浸水した家の側に女性の死体が浮かんでいる写真。
明日は我が身かと本気で恐ろしく感じました。


心の底から共感と強い感情が沸き起こってくるのは、やはりどこか自分とリンクする背景をもつ写真だった。
例えば22歳のカメルーン人の青年が、生活のためにフランスに密入国するのを追った写真。(年齢と、フランス移民事情)
飛び込みの選手が飛び込み台に頭を思いっきりぶつけた瞬間の写真。(リアルに痛さを想像)
身近な外国であるアメリカの、カトリーナの写真も然り。


ロンドンの社交界では寿司の女体盛りが行われているらしい。
(世界でも貧しい地域がダイヤの生産地である、というテーマで採集場から実際に身に着けてる人々までを撮った連作)


報道写真はアートとしての側面があってもいいと思うのだが、もちろんそれだけで終わってしまってはいけないわけで・・。
こういう写真をもっとたくさん日常的に見られればいいのに。




50周年の方は・・中島みゆき、「時代」
70年代の日本の凄さを改めて感じました。
今じゃのうのうとしてる。
全部が良かったわけじゃないけど。
これから世界がどこへ行くのか、いつの時代も人々は不安を感じ、それでも時代は移り変わっていった。
これから先もきっとずっとそうに違いない。
セバスチャン・サルガド様。ネ申。